2018年11月7日水曜日

聖(せい)ファウスティナ


2000年の大聖年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されたポーランドの聖女ファウスティナ。彼女がイエスの出現によって与えられた「神のいつくしみ」についての信心は、今の時代にとって、とても大切なものの1つではないでしょうか?
ご復活の主日の次の日曜日には、聖ファウスティナに現れたイエスの求めに応じて、「神のいつくしみの主日」を祝うことになっています。(日本では2001年から典礼暦に加えられました)
聖ファウスティナの生涯について、『聖ファウスティナの生涯』(いつくしみセンター発行)から一部分を抜粋してご紹介します。

ヘレナの誕生

1905年8月25日、ポーランドのグウォゴヴィエツという小さな村に、シスターファウスティナは生まれました。彼女の名前はヘレナ・コヴァルスカといい、10人兄弟の3番目でした。ヘレナ・コヴァルスカの家は貧しい農家で、父は農業以外に大工の仕事もしていました。彼女は子どものときから、農作業や家の雑仕事を手伝っていました。
ロシア統治下のポーランドでは学校は閉鎖されていたため、ヘレナはやっと12歳で学校に行くことができました。しかしヘレナはわずか2年間で学校生活を終えざるを得ませんでした。

人生の転機

1924年の7月、彼女は姉と一緒に、スタニスワフ教会の裏の公園で開かれたダンスに参加しました。そこで彼女は、自分の隣に、突然、イエスを見たのです。
「私は1人の姉とダンスに行きました。皆は楽しいひと時を過ごしているのに、私の魂は深い苦悩を感じていました。私は踊り始めた時に、突然、すぐ隣にイエスを見ました。イエスは苦痛でもだえ、衣類は引き剥がされ、体は傷で覆われていました。そのイエスは私に言いました。『いつまで私に忍耐させるのか、いつまで私を待たせるのか』と。その時、音楽は止まり、今まで一緒にいた仲間たちは私の視界から消えていました。そこにはイエスと私だけが残されていました。
私は大好きな姉のそばに座り、頭が痛いふりをしました。今、私の魂に起こったことを隠すために。しばらくして、私は姉や仲間たちに気づかれないようにそっとその場を立ち去り、スタニスワフ教会に向かいました。」(日記9)
ヘレナはご聖体の前にひれ伏し、主イエスに、次に自分が何をすべきかよく分かるように教えてくれるよう懇願しました。
「すると、『今すぐ、ワルシャワに行きなさい。あなたはそこで修道院に入るで しょう』という声を聞きました。」(日記10)

修道会に入るまで

やがてワルシャワに着き、ヘレナはいくつかの修道会の門を叩きましたが、どこも彼女を受け入れてくれませんでした。
ヘレナはある日、「あわれみの聖母修道女会」を訪ねました。修道院長のシスター・ミカエルは少し話した後、言いました。聖堂の主のところに行って、イエスが彼女を受け入れるかどうか聞いてきなさいと。ヘレナは喜んで聖堂に行き、素直に主に尋ねました。
「すぐに私は声を聞きました。『私はあなたを受け入れる。あなたは私の心のうちにある』
私が聖堂から戻った時、シスターは真っ先に聞きました。「主はあなたを受け入れましたか?」
わたしは答えました、「はい」と。
シスターは言いました、「主があなたを受け入れたなら、私も受け入れます。」」(日記14)

シスターファウスティナの誕生

1926年4月30日、ヘレナはベールと修道服を受けました。そして、Sister Maria Faustina(マリア・ファウスティナ)という修道女名が与えられました。当時の修道会の習慣で、彼女は修道女名に of the Most Blessed Sacrament(ご聖体の)を付け加えました。すなわち、Sister Maria Faustina of the Most Blessed Sacrament が正式名です。いつくしみのイエスと聖ファウスティナ

いつくしみの祭日(神のいつくしみの主日)

『私の娘よ、想像もつかない私の大きないつくしみについて全世界に伝えなさい。いつくしみの祭日はすべての人びと、特に哀れな罪人の逃れ場と隠れ場である。その祭日には私の優しいいつくしみの深淵が開く。私はいつくしみの泉に近づく人に大きな恵みを注ぐ。その祭日にゆるしの秘跡を受け、ご聖体を拝領する人は完全な罪と罰の赦しを得る。その祭日には、神の恵みが流れるすべての水門が開かれている。誰も私のもとに来るのを恐れてはならない、どんなに罪深くても』(日記699)

神のいつくしみのチャプレット(神のいつくしみへの祈りの花束)

いつくしみのイエス『この祈りをロザリオを用いて次のように唱えなさい。初めに主の祈り、アヴェ・マリアへの祈り、信仰宣言を1回ずつ唱えてから、主の祈りの珠のところで次の言葉を唱える。
「永遠の父よ、私たちと全世界のすべての罪のあがないのために、あなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストのおん体とおん血、ご霊魂と神性をみ前に捧げます」
聖母マリアへの祈りの珠のところで次の言葉を唱える。「イエスの痛ましいご受難によって、私たちと全世界にいつくしみを注いで下さい」
最後に次の言葉を3回唱える。「聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、私たちと全世界を憐れんで下さい」』(日記476)
イエスはさらにシスターに言いました。
『私が教えたこの祈りの花束を絶えず唱えなさい。この祈りを唱える人は誰でも、臨終の時に偉大な憐れみを受ける。司祭は、この祈りを最後の救いの希望として罪人に勧めなさい。最も罪深い人であっても、この祈りの花束を1回でも唱えれば、私の限りないいつくしみから恵みを受ける。私は、全世界に私の限りないいつくしみを知ってほしい。私のいつくしみに信頼する人びとに、想像もつかない恵みを与えたい』(日記687)
※ 詳細はこちらをご参照下さい >> 神のいつくしみのチャプレット

午後3時・いつくしみの時

『午後3時に、私のいつくしみを乞い願いなさい。特に罪人のために懇願しなさい。そしてほんの短い間でも私の受難、特に十字架上で見捨てられた私の孤独について黙想しなさい。この時間は、全世界のための偉大ないつくしみの時間なのである。あなたに、私の死ぬほどの悲しみを悟らせよう。この時間に、私の受難によって私に願う人を私は誰一人拒むことがない』(日記1320)
※ 詳細はこちらをご参照下さい >> 3時の祈り

いつくしみのご絵

『私はこの絵を崇敬する人は滅びないと約束する。さらに、この世で既に、また臨終の時に、敵を打ち負かすことも約束する。私は、その人を私の誉れとして守る』(日記48)

神のいつくしみを伝えること

『いつくしみを伝え、いつくしみに栄光を帰す人を私は全生涯にわたって守る。あたかも母親がその幼な子を守るように。さらに臨終の時には、私は裁きの審判者ではなく、いつくしみ深い救い主として来る。臨終の時に、人はいつくしみ以外に寄りすがるものはない』(日記1075)

使命の始まり

聖ファウスティナは自身の日記に次のように記しています。
「私の使命は、死と共に終わるのではなく、死と共に始まるのだと確信しています。疑っている人びとよ、私は、あなたたちに神の善についてよく分かっていただくために、天国の覆いを取り除きます。あなたたちがもう、不信の念によって、最愛のイエスのみ心を傷つけることがありませんように。神は、愛でありいつくしみなのです。」(日記281)
1938年10月5日、ゆるしの秘跡を受けた後、午後10時45分、聖ファウスティナは天に召されました。ファウスティナ自身が日記に記しているように、彼女の仕事が始まったのです。

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イエスよ、あなたに祝福します。